8月31日の夜に。
尊敬している大森靖子さんが記事(日記)を書かれていて、最近、この番組を知った。
ホームページには”ぼくの日記帳”という“もやもや”をみんなで共有するコンテンツがあり、私は書き込みを全部読んだ。彼らの悲痛な思いに泣いてしまった。私も一緒だ、と思った。
数ヶ月前、友人が自殺をした。彼女も不登校だった。生きるのがつらいと言っていた。その事実を知ったとき、共通の友人と一緒に泣き叫んだ。すべてを捨てて死を選んだ心情を察すると心がはちきれそうになる。
私自身も死にたいと昨年から幾度となく血迷った。だけど、死ぬ気で生きてやろうと思うようになった。卒業を迎える日には、心の中で中指立てて「ざまあみろ。」と叫びたい。
<何が書きたいのかよくわからなくなってしまった…>
本気で死を選ぼうとしている人には「生きろ」なんて残酷だけれど、それでも、。
おわったね
今日、終業式でした。
(正しくは私は参加していません。「風と共にゆとりぬ」著・朝井リョウさん を熟読していました。笑いをこらえるのが大変でした。オススメです。)
長かったようで短かった怒涛の一年でした。
前回の記事でも触れましたが、私は相談室登校をしています。
(していましたかな?)
相談室は「本当にここは学校なのか?」と疑うくらい静寂に包まれています。
教室で日々生活するよりも一人で多くのことを考える時間が生まれました。
こんな私に居場所を作って頂いて、先生には大変感謝しております。(心から)
暗い記事にしたくないので諸処の説明は省きますが
散々考えに考え抜いた結論は、
お前らが何て言ってようが知ったこっちゃねえ。私は私だから。
今、中二病が何ほざいてんだ って思いましたよね。自覚はあります。
釈明すると、周りの言ってることは確かに気になるけれども、気になるけれども気にせずに自分を出していこう、という自分なりの決意です。
私はこれができなくて、人と目を合わすのでさえ困難ですが
無事、2年生にもなれるしクラスも変わるしやるっきゃねえなと思って。
心の整理も多少なりとついたので、同じ過ちを繰り返さないように精進します。
「人生楽しんだもんがち」
とTwitterのプロフィールに書いている人は気に食いませんが、まあその通りなのかなとは思います。
おわり